重ねるだけが重ね煮じゃない!
重ね煮をつくる上で必要な心構えは、食への感謝と食材に対する愛情です。また、後述しますが重ね煮では調理過程で無駄をなくすことも重要です。これは地球環境のあり方に気が付くことにも繋がります。私達は地球の一員であり、私達人間が食べる行為がどれだけ地球環境に影響を与えているのかを気付かせてくれるのも重ね煮なのです。
自然の摂理に従って野菜を鍋の中に重ねることによって生み出される重ね煮は、作る人の気持ちが重要なのです。例えば、素材に愛情とリスペクトを持たず、「めんどくさい!」という気持ちを持っていたり、「イライラ」している気持ちでつくると、不思議なことに重ね煮は深い味わいを出してくれません。これは、レシピ通りに調理すれば平均的な味が再現される一般的な調理とは大きく違います。
食べたものが私達をつくるので、「めんどくさい味」や「イライラ味」でつくるとその味が強く出て、それが身体に入っていきます。それが身体をつくるのです。家庭や大切な人の食事をつくる人は、ただ単に栄養を補給するためだけのものを料理しているのではなく、食べた人の命、思考、神経までもつくっているのではないかと気付かせてくれるのも重ね煮なのです。「料理を提供する」ということは、とても大切で偉大な仕事です。作った人の気持ちが分かりやすく感じられる重ね煮はそんなことも教えてくれます。
重ね煮をつくる人の料理に向き合う気持ちが整うことで、主役である野菜達にも楽しく鍋に入ってもらうことができます。これは決して難しいことではなく、野菜が「この人に料理してもらえてよかった!自分の命がこの人の一部となって生きてゆけるなら嬉しいな!」と思ってくれるくらい大切に扱えば良いのです。
一例として、人参の場合をご紹介します。人参を大切に扱う具体的行動として、重ね煮料理教室では「にんじんちゃん、くるくるお掃除法」をご紹介しています。人参の葉っぱと根っこの付け根の部分は、スパッと包丁で切り落としている方が多い部分ですが、重ね煮調理ではその部分を切り落とさずに、葉っぱの付け根の少しへこんだ部分を箸を使ってクルクルと動かし、汚れをこそぎ落とします。
こうするとタワシで洗っても落ちないような汚れでも、気持ちよくスッキリ綺麗になります。キレイにお掃除すれば、切り落とす必要がなくなります。そのときの人参の気持ちを代弁すると「みんなが切り捨てる部分も大切に食べてくれてありがとう!」になります。そして、嬉しくなった人参は食べられた後も、きっとすねることなく、人の一部となってくれるのです。More
実際、葉っぱと根っこの付け根の部分は、切り落として捨ててしまうともったいないくらいの部位でもあります。成長点といって、細胞分裂が活発に行なわれている部分であるためです。つまり、ここは人参の生きる力がギュッと詰まっている部分なのです。そんな大切な部分こそ捨てずに料理するのも重ね煮の大きなポイントです。
ほかの野菜でも、意外に無意識に切り捨てている部分が成長点であることは多いように思います。ちょっと、意識を変えると今までゴミだった部分が急に生命力満点の宝物になるのです。ほかの部位も気を付けて観察して、その扱いを意識しだすと、野菜に捨てる部分はほとんどないことに気が付くでしょう。
重ね煮を通してそんな経験をしていくと、人参のヘタを切り捨てることはできなくなりますし、きのこの軸、玉ねぎの芯、れんこんの節、キュウリのヘタ、キャベツの芯なども、大切に料理して食べたくなります。これは結果として、ゴミを減らすことに繋がります。そして、ゴミを燃やすための燃料やco2をほんのわずかでも減らすことができるのです。
重ね煮をするうちにいつの間にか、野菜だけでなくどんな素材でも、丁寧に扱うようになりますし、下処理や切り方だってよく考えるようになります。さらに、切れ味の良い包丁、整ったまな板、清潔な布巾、野菜たちの入り心地の良い鍋と意識が拡がっていくのです。結果、料理はおいしくなります。不思議ですが、人は食べ方が変わると、気持ちも変わってくるように感じます。より自分らしい人生を送ることに素直になる人が多くなります。
重ね煮をつくるとき、「野菜が私に食べられてよかった!」と思ってくれるくらい大切に野菜を扱うことを野菜に行動で示したとき、野菜は裏切ることなく、おいしさとなって応えてくれます。重ね煮は、自然の摂理に従うこと、野菜を大切に扱うことで、自分や大切な人を守る術となることを教えてくれます。重ねるだけが重ね煮ではないですし、重ねた先に見えてくる世界があります。そんな気持ちでつくられた重ね煮だからこそ、一口食べただけで涙する人がいるのかもしれません。
こうするとタワシで洗っても落ちないような汚れでも、気持ちよくスッキリ綺麗になります。キレイにお掃除すれば、切り落とす必要がなくなります。そのときの人参の気持ちを代弁すると「みんなが切り捨てる部分も大切に食べてくれてありがとう!」になります。そして、嬉しくなった人参は食べられた後も、きっとすねることなく、人の一部となってくれるのです。More
実際、葉っぱと根っこの付け根の部分は、切り落として捨ててしまうともったいないくらいの部位でもあります。成長点といって、細胞分裂が活発に行なわれている部分であるためです。つまり、ここは人参の生きる力がギュッと詰まっている部分なのです。そんな大切な部分こそ捨てずに料理するのも重ね煮の大きなポイントです。
ほかの野菜でも、意外に無意識に切り捨てている部分が成長点であることは多いように思います。ちょっと、意識を変えると今までゴミだった部分が急に生命力満点の宝物になるのです。ほかの部位も気を付けて観察して、その扱いを意識しだすと、野菜に捨てる部分はほとんどないことに気が付くでしょう。
重ね煮を通してそんな経験をしていくと、人参のヘタを切り捨てることはできなくなりますし、きのこの軸、玉ねぎの芯、れんこんの節、キュウリのヘタ、キャベツの芯なども、大切に料理して食べたくなります。これは結果として、ゴミを減らすことに繋がります。そして、ゴミを燃やすための燃料やco2をほんのわずかでも減らすことができるのです。
重ね煮をするうちにいつの間にか、野菜だけでなくどんな素材でも、丁寧に扱うようになりますし、下処理や切り方だってよく考えるようになります。さらに、切れ味の良い包丁、整ったまな板、清潔な布巾、野菜たちの入り心地の良い鍋と意識が拡がっていくのです。結果、料理はおいしくなります。不思議ですが、人は食べ方が変わると、気持ちも変わってくるように感じます。より自分らしい人生を送ることに素直になる人が多くなります。
重ね煮をつくるとき、「野菜が私に食べられてよかった!」と思ってくれるくらい大切に野菜を扱うことを野菜に行動で示したとき、野菜は裏切ることなく、おいしさとなって応えてくれます。重ね煮は、自然の摂理に従うこと、野菜を大切に扱うことで、自分や大切な人を守る術となることを教えてくれます。重ねるだけが重ね煮ではないですし、重ねた先に見えてくる世界があります。そんな気持ちでつくられた重ね煮だからこそ、一口食べただけで涙する人がいるのかもしれません。